目 次
1. お姉ちゃんがいなくなったのは自分のせい
――姉のえみるさんの存在が、次女ふみねさんに影響を及ぼしていると感じることはありますか?
今年、ふみねはアメリカの大学を卒業しました。その卒業式で、娘はえみるの写真を持っていたんです。アメリカでは卒業式に角帽を空に向けて投げますよね。ふみねは「その光景をどうしてもお姉ちゃんに見せてあげたかった」と言っていました。彼女からは事前に何も聞いていなかったので、その姿を現地で見たとき、僕も妻もうるっときてしまいました。
えみるが交通事故にあった当時、ふみねは4歳になる少し前の3歳でした。あれから18年が経ちますが、事故のこと、姉のことは全く忘れていないと感じます。ふみねは物事を先延ばしにしません。今日のことは今日済ます、体験したいことは今すぐやる。明日が来るのが当たり前ではないことを、幼い頃に痛感したからだと思います。
大人は死についてある程度の認識がありますよね。これまで一緒に過ごしてきた人が、ある日突然いなくなってしまう可能性があることを知っています。でも、ふみねはまだ死というものを理解する前でした。お姉ちゃんが挨拶の言葉も交わすこともなく、スッといなくなってしまったのはなぜなのか。長い間、自分の頭で一生懸命理解しようとしていた様子を昔から感じていました。
――ふみねさんのどういった雰囲気から、そのことを感じたのでしょうか。
最も衝撃的だったのは、えみるの葬儀が終わったときの出来事です。家族で霊柩車に乗って火葬場へ向かう道中、突然ふみねが「頭が痛い!」って言い出しました。「頭が痛いから、お家に帰りたい」って泣き出してしまって。妻と一緒になだめていると、今度は「お腹が痛い!苦しい!お家に帰りたい!」と言うんです。引き続き「もう少しだからね」と言っている間に、火葬場に着きました。そこで、職員の方が棺を火葬炉へ運んでいこうとしたとき、ふみねが「持っていかないで!」って泣き叫んだんです。
――ふみねさんも、現実と向き合っていたのですね。
ふみねは、「ここ(火葬炉)に持っていくと、完全にねぇねがいなくなっちゃうから、持っていかないで!」って号泣しながら、火葬場の方に訴えていて。実はえみるが亡くなる前に、親しかった親戚が他界していました。そのときに葬儀に出ていたふみねは、火葬炉の扉が開いてその中に棺が入れられているのを見ていたんですね。このとき、どんなに小さくても、子どもだってつらさは大人と一緒なのだと思い知りました。
それからは、「ねぇねがいなくなったのは、自分が悪い子だったからなのでは」と考えるようになっていったんです。
えみるの生前、姉妹で遊ぶ様子はホームビデオで撮影して残していました。たまにテレビに映像を映して鑑賞していたのですが、きょうだい喧嘩のシーンを見ると画面に映る自分を叩くんですよ。「(ふみねさんが)ねぇねに悪いことを言ったから、ねぇねはいなくなったんだ」と。その様子を見たとき、とにかくえみるがいなくなったことはふみねのせいではないことを一生懸命伝えました。それは親としてとてもつらかった思い出の一つです。
2. 悲しいときに「悲しい」と言い、泣きたいときに泣く
――えみるさんが事故に遭われたときの話を、ふみねさんはされますか?
高校を卒業する前、一度だけ「事故当日のことを鮮明に覚えている」といって、話してくれました。
「病室に入るとお姉ちゃんがベッドの上に横になって、ちょっと血がついていて。病院の先生が何か話した直後、チチとハハ(※ふみねさんとえみるさんが風見さんら両親を呼ぶときの呼称)は病院の床にひれ伏して大声で泣き始めて。私はそのとき看護師さんに抱っこされていた。実はお漏らしをしたんだけど誰にも言えなくて、お家に帰るまで我慢していた」と。
ふみねにとって、姉との思い出は3歳までしかありません。通常、2、3歳のときの記憶は定着しないですよね。でも、ふみねの場合、新しい記憶は上書きされません。その分、3年間の記憶を反芻し続けているのではないかと感じています。
――妻の尚子さんとは、これまでどのような話をされてきましたか?
妻は、事故直後から気丈に振る舞っていたんです。でも身体は正直だったようで、ある時点から頭髪がどんどん抜けていきました。それを見たときに、「悲しい気持ちを押し殺すことはやめよう」と話し合いました。泣くのを我慢せず、悲しかったら「悲しい」と言葉にしよう、と。
誰かが泣き出したら、泣いてない人が相手の肩に手を置けばいいじゃないかと言ったら、妻は「今日からは泣いたもん勝ちね」と言いました。なので、僕たちはえみるの思い出話をよくしました。そして、「悲しい」と言ってよく泣きました。気持ちを溜め込まず、家族の前で全て吐き出すことは、自分たちにとっては良い選択だったと思っています。
――ご家族で、心の中にある気持ちを確認し合ってこられたのですね。
これは笑い話なのですが、妻の髪の毛が抜けた後の頭皮がミッキーマウスの形に似ていたんです。それを見た妻が「ここに隠れミッキー(※ディズニーパーク内などで見つけることができるミッキーマウスのシルエットやモチーフ)がいるよ」と言って、僕とふみねに見せてくれました。そして、三人で笑い合いました。
悲しみに向き合って、泣きたいときに泣くようになってから、少しだけ、以前の妻が帰ってきたように思いました。
「時が解決してくれる」というのも、時間が経てば忘れるからという単純な意味ではなく、時間をかけて少しずつ自分たちで心の立ち位置を変えて、悲しみに対処する術を覚えていくという意味なのだと思う。
(風見さん著書『さくらのとんねる』より)
3. 久しぶりに未来のことを考えていた
――えみるちゃんの事故から9年が経って書かれた2冊目のご著書『さくらのとんねる』の中で「過去に起こったことばかり見ていたり、目をつぶったり、うつむいてばかりいては、大切な今が見えなくなってしまいます」 と書かれていました。“今”が見えるようになってきたのは、いつごろだったと感じますか?
事故から1年が過ぎた頃、僕たちの元に赤ちゃんがやってきたんです。男の子で「こころ」と名づけました。今でも「えみるが仕組んだことだな」ってよく話をするのですが、そのとき、久しぶりに“明日”について考えていることに気づきました。
妊婦健診で、こころはダウン症の可能性が高いと医師から告げられました。障害があるとわかってから「どんなケアが必要か」「子ども部屋はどんなのがいいだろう」「ダウン症の子どもを育てている方にお話を聞きにいこう」と、いつのまにか未来のことを考えていました。
きっと、過去ばかりに気持ちが向いていた自分たちに、えみるが「前を向きなさい」と伝えるために新しい命を授けてくれたのだと思っています。天国でえみるに会えたら、「お前がやっただろう?」って聞く予定です。結果的にこころはこの世に生まれてくることはありませんでしたが、妻のお腹の中にこころがいた半年と少しの間、強くえみるを感じました。
初めて、えみる以外のことをすごく考えた時間でもあった。こころは妻のお腹で八カ月以上生きてくれた。それまでは、一日中、帰ってくることのない娘のことをずっと探して過ごしていた。答えが出るはずのない娘のことをずっと考えてばかりだった。
ふみねにもずいぶんと寂しい思いをさせてしまった。けれどそのふみねとこころの未来が僕たちを変えてくれた。
(風見さん著書『さくらのとんねる』より)
――風見さんの元には手紙が多く届くそうですが、お返事を書くこともあるのでしょうか?
はい、時間があるときは拝読し、特に僕たちと同じ状況の交通事故被害者側の親御さんには極力お返事を書くようにしています。お手紙の中で、悲しみを克服しようとものすごく頑張っている姿を感じたときや、「どうしたら風見さんのように乗り越えられますか?」といった質問をいただいたときは、こう答えるようにしています。「テレビでは明るく元気に振る舞っていますが、実は今でも乗り越えていませんよ。皆さんと一緒のところに立っています」と。
僕の勝手な意見なんですけど、いつの日かえみると会えると思っています。僕も天国に行ったときに会えたら、どんなお土産話をしようかなと思っています。えみるは好きなアニメの最終回を見られずじまいだったので、その続きを僕が全部見届けてストーリーを教えてやらないといけないな、とか。くだらないことかもしれないですけど、そんな些細な目標ができるだけで、心が少し明るくなる。「必ずまた会えると想像しましょう」と手紙に添えることもあります。
4. 今、苦しまれている方へ
――国内において2024年の交通事故における死亡者数は2,663人でした。その数だけ被害者ご家族がいる中、現在進行形で苦しまれている方へのメッセージをお願いします。
「こうした方がいいですよ」ということは何も言えません。ただ僕は、乗り越えたり頑張ったりすることをやめました。それは、娘を忘れたということではありません。
周りから「乗り越えてくださいね」「いつまでもメソメソしないで」と言われることがあるかもしれませんが、全く気にしないでください。悲しいときは気持ちを押し殺さず、悲しんでください。皆さんには、無理はされないでくださいということと、ご自分の心を大切にしてください、ということを伝えたいです。
●風見しんご(かざみ・しんご)さんのプロフィール ●風見しんご(かざみ・しんご)さんのプロフィール
1962年、広島県生まれ。18歳のときに萩本欽一氏に見出されて芸能界へ入る。ドラマ、バラエティー番組、映画、舞台などで活動し、ブレイクダンスでも注目を集める。1994年に歌手の荒井昌子さん(本名:尚子さん)と結婚。2007年1月に当時小学5年生だった長女・えみるさんが交通事故で他界。その後、命の大切さを伝える講演活動を長年続けている。還暦を機にアメリカへ拠点を移す。著書に『えみるの赤いランドセル』『さくらのとんねる』(いずれも青志社)。
(記事は 2025年11月1日時点の情報に基づいています)